街と記憶する

 

昨日は、ジュンク堂に行きたくなって、自転車に乗って池袋に向かった。

池袋のジュンク堂は本当に大きくて、地下一階地上九階建てのなんでもある本屋。営業時間は10時から、平日土曜はなんと23時までやっていて、仕事帰りにも立ち寄ることができる。帰り道と真反対なのが難点。ジュンク堂池袋本店の話はともかく、とりあえず池袋の北西から池袋の東の方まで自転車で向かったという話。

池袋の西側はいわゆる歓楽街で、おれが「ちいさな歌舞伎町」と呼んでいる「ロマンス通り」がある。街は汚い。客引きキャッチの黒服は、ゴキブリのようにそこら中にいて、あるいは生ゴミを狙うカラスのようにカモとなる客を探していたりする。とは言えロマンス通りは、歌舞伎町のようにキラキラ光るネオンがたくさんあるわけでもなくて、土曜の夜でもそんなに人が多いわけでもなくて、たしかに東京の、都会であるはずなのになんだか田舎臭さを感じてしまう場所だ。自転車に乗っていればそこはもう安全地帯で、キャッチから声をかけられることはなく、ガールズバーの、雰囲気は可愛い感じがする女の子たちを眺めながらロマンス通りを抜けられる。いつかガールズバーにも行ってみたい。人の金で。

間もなく東京芸術劇場を通る。それは池袋西口公園(またの名を池袋ウエストゲートパークというらしい)の中にあって、さっきまでとは代わり、とても綺麗で洗練された建物だと思う。建築よく分からないけど、建築物を見るのは好きなので、東京芸術劇場を見ると落ち着く。池袋西口公園は、4月頃に立教大学の新歓の一本締めがよく行われている場所。僕はよく喫煙所を利用しています。

池袋の西と東は、池袋駅という壁によって分断されている。壁は結構厳しいもので、検問こそないものの、自転車で行き来する方法は2通り。徒歩なら3通り。車だと1通り。しかない。だから、西に住んでいると自転車で東に行くのは少し不便で、かといって徒歩だと少し遠く、東に行くことはそれほど多くない。しかし今日は、西口公園を通り抜け、よく利用する池袋東武の駐輪場を素通りし、左折。ガード下をくぐり抜け、西から東へ、ついに池袋の東側へと到達する。

東は都会だ。西武(東なのに)は大きいし、ビックカメラヤマダ電機も本店でデカい。いわんやジュンク堂をや。人も西より多く、心なしか小奇麗な人も多い気がする。女の子も西で見る子より可愛いとか、どうやら隣の芝は真っ青っぽい。

ジュンク堂を見つけて、駐輪場を探す。こういうときに自転車は不便で、おれの自転車はスタンドも付いてないし、買いたてでちょっと良い感じだからなんかそこら辺には停めたくないしで面倒。とりあえず裏手に行けばなんかしらの駐輪場があるだろうと思ったが、地面の案内に「駐輪場 この先まっすぐ」と書いてあるのみで、周りには見つからない。どれくらいこの先をまっすぐ行けばいいのだろう。ちょっと進んだくらいでは見つからなかった。仕方なく他を探そうと、周りをぐるぐる回ってみたけれど、よさげな飲み屋がいくつもあって、ちょっとおしゃれなカフェがあって、あとは駿台予備校があるくらいで、駐輪場なんて見当たらない。

池袋の東、良い塩梅のシティ感がある。ポパイっぽい。ちょっと雑な感じの立ち飲み屋でビッグサイズのTシャツを着た若者が飲んでいる。グリーンシアターという劇場もあって、そこでは映画ではなく演劇が行われている。そこそこに人も多くなく、喧騒の西側とは違った落ち着きがあった。

結局、駐輪場はジュンク堂の地下二階にあった。この先まっすぐの表示を見てすぐに左折すると次の案内が出てきたので、ジュンク堂を恨んだ。紛らわしいくらいなら無い方がマシだ。ジュンク堂では、ずっと買えていなかったアイデアの最新号を買った。

 どうにも東側の雰囲気を気に入ってしまったので、そのままフラフラとサイクリングすることにした。東へ、東へ。

都電荒川線雑司ヶ谷駅に着く。路面電車の駅で自動改札がない。プラットフォームはちょっとした台みたいな感じで、互いに向かい合わず、踏切を挟んでズレている千鳥式。人の姿もほとんどない。どうしても京都の叡山電車を思い出す。ちょうど友人の住んでいる元田中駅がこんな感じだったな。一乗寺駅のホームは向かい合っていた気がする。街の雰囲気はどこに似ているだろう。精華大の学祭の後夜祭に忍び込んだときに降りた八幡前駅に似ている気がする。どちらもミニストップがあって、当時は11月でお腹も減っていて肉まんとか食べていた気がする。

雑司ヶ谷駅の向こうには、墓地があった。時刻は20時で人はいない。ワクワクとも怖さともつかない不思議な魅力を感じる一本道を挟んで、たくさんのお墓がある。Googleマップを開いてみると、雑司ヶ谷霊園というらしく、かなり広い霊園だった。よく見るとちょうどこの一本道を抜けたその一画に「夏目漱石の墓」という表示がある。それほど詳しいわけではないけれど(お墓が雑司ヶ谷霊園にあることだって知らなかったくらいだ)、僕は夏目漱石のことがとても好きで、時々著書を読んだりする。そういえば、こころでKの墓は雑司ヶ谷にあった。先生は毎月Kの墓参りをしていたのだった。街が記憶を思い出させる。

まっすぐ進んで最初の十字路を左に曲がり、ちょうどその角あたりに夏目漱石の墓がある。京都で言うと東入ルという感じ。真っ暗な中iPhoneのライトを頼りに墓地を歩くと、すぐに漱石の墓は見つかり、思っていたよりもお墓は大きくて、迫力があった。何をすればいいのかはわからなくて、とりあえず手を合わせて目を瞑り、「面白い作品を生み出してくれてありがとうございます。偉大なる文豪、僕はあなたのような文章が書けるようになりたい」と心の中で言った。

霊園を出ると、住宅街に入った。どうにも道は複雑で、一体自分がどの方向へ走っているのかもわからなくなる。同期の友人が住んでいる護国寺まで向かおうと思っていたので、とりあえず東へ、東へと向かう。一方通行だらけの住宅街道を通っていると長い下り坂が目に入った。東京ではあまり見ないタイプの坂で、斜面は急でまっすぐ。神戸に住んでいたときはこういう坂ばかりがあって、家の周りに3,4箇所あったことを思い出す。坂を下りきると、また次の下り坂がある。今度は途中で曲がる、しかも右側が崖のようになっていてガードレールがあるタイプの下り坂。神戸の街の、岡本の方から家に帰る途中にあるような、懐かしい坂だった。

雑司が谷を抜けると、都道435号線に出る。上に高速が走っている大きな道路を見ると、阪神高速が上に通っていた国道43号線を思い出し、また懐かしくなった。どこか遠くから帰ってきて高速を降りて一般道に合流する。あの瞬間が、実際に家に着くよりも帰ってきた実感があって、安堵感と喪失感が入り交じって面白い。

護国寺に着いて友人に電話をかけると、突然だったのに来てくれて、軽く串を食べた。自転車なのでウーロン茶を飲んだ。

1時間も経たず解散し、帰路についた。ちょっと道を変えて、ひたすら都道435号線を、サンシャインシティを横目にまっすぐ進む。サンシャイン通りのあたりは賑やかで、都会という感じがした。カップルがたくさんいて、たまに家族連れもいて、人がいた。

西側に戻る。池袋パルコの横の地下道を自転車を押して進む。東から西へ。

西側は数時間前と相変わらずの喧騒で、夜も進み、むしろ治安は悪化している。東は夢の国なのか、さっきまでの良い気分もすっかり台無しになってしまった。おしゃれなカフェもなければ、良い感じの立ち飲み屋もほとんどない。あるのはガールズバーとピンサロ。一軒め酒場、磯丸水産。一軒め酒場と磯丸水産は最高。

でもそんな西側の風景にも、慣れるとだんだん愛着が湧いてくる。確かに汚くて、そんなにいい店があるわけでもなく、可愛い子も少ない。でもトーキョーダーツスタジアムは安くて最高だし、シネマ・ロサのレイトショーは人も少なく、落ち着いて見て泣くことができる。こないだ美味しいクラフトビールの店も教えてもらったし、そのビルの地下にははなまるうどんがあって、とりあえず腹も満たせる。

街を覚えれば、その分だけ愛着が湧くと思う。風景とか匂いとか、人とかお店とか。頭で覚えることもあれば、習慣として身体が覚える道もある。友だちと好きなアダルトビデオのジャンルで盛り上がったのはあの店だったなとか、一人で好きな音楽を聞きながらつい歌ってしまって、角から出てきた人と目があったのはあの十字路だったなとか、好きな人と歩くだけで楽しかったのはあの道だったなとか。

そして、知らない街も、知っている街と重ねれば、記憶は重なり、愛着が湧く。昨日は知らなかった街を見て、知っている街をもう一度見て、そのどちらもを好きになった。またどこか知らない街に行ったときに、知っている街と重ねて、知っている街を思い出して、知らない街のことを好きになれるような気がしてならない。

「街を記憶する」のではなくて、「街と記憶する」というのは、街を介して自分の思い出とか記憶を確かなものに、大切なものにしていこうという試みのことである。